問題は解答への問いかけである。
言葉の羅列は面白い。
とくに意味ない接続に意味を求める人びとは
時には自分の曖昧を信じてしまうと言うところ。
果たして私が言いたい事の二分の一も伝わらず
人は自分の中にだけ確たる答えを持っている。
なんとおかしな事だろう。
他人と会話をしていても、結局答えは己がなか。
自分が話をしていてもそれはそれとて掴みきれん。
一派の宗教、信者にはそれがとてつもない滑稽。
多宗派無宗派、その人に
己が道など知らないが死んだらそこで終いだと
それがこの世の理と
信じる気持ちは同じでも
道が違えば解もちがう。
それがなんだと言われれば
信じる気持ちをだぁれも
ねじ曲げることは不可能で
「それが私の真のこころ」
そう言われれば寄り添おう。
なにを信じていてもいい。
なにを自分としてもいい。
ただ
自分の信じるこころだけ
説明できねばならぬまい。
「おおそれが、あなたの信じる事ですか
私の倫理の及ばぬところ、まことのこころを知らぬとこ
決めつけ悪としたところ、私は恥ねばならぬまい。」
そう言わすまで、とことん定義をつけましょか。