朝焼けの愚者
彼女の名前は知らない
だが、彼女と出会った。
彼女はやたらと理屈っぽいが、その理屈はぼくにはわからない。
ただ、ロマンティックだと思っただけだ。
朝焼けの中、崩壊した理論展開をキラキラとした目で語る彼女は自分という生き物を受け入れている事だけが取り柄とも言えたが、ぼくにはとてつもなく煌々と眩しかった。
賢者が真理と絶望を語るとしたら
愚者は妄想と理想を語るのだろう。
彼女は愚者かも知れない。
でも、ぼくは妄想だろうが理想だろうが
彼女のきれいごとを信じたい。
悲しみも事細かにばらしてしまえば点と点だと言うことはなんだか論理的ではない説得力だったが、
確かに点と点との積み重ねでしかないことがぼくには真理に思えたのだから仕様がない。
幸せの数を数式にしてごらんと言われたら戸惑ったぼくは理数系にもなりきれないと思い込めたほどだから仕様がない。
全てを「笑止」と言わんばかりの彼女がいくつの悲しみと悦びを数えてきたのかはわからない。
しかし、ぼくの悲しみとぼくの悦びはぼくの物だ。
朝の清々しさと、夜の切なさも、全てはぼくの物だ。
ぼくの感じたものは全てはぼくのものだ。
ぼくは全ての感情を屁理屈でねじ曲げないでいよう。
だから、全ての朝と夜を愛そう。