悲しみは汚れていた
汚れちまった悲しみに
そんな記事を書いたこともあったけど、ああ、全然今回は考えも及ばなかった。
汚れちまったんだ。悲しみが。
幾ばくかの理性と知性、
なんて聞えがいいけれども
自分の敵をひたすら憎んで憎んで吐き出す言葉と
自分が一度受け入れたそれが理想と違ったから切り離したい気持ちが、一度受け入れたからには正統性のある理由付け無しでは整理がつかなくてこんがらがるのと
まったく違う。
悲しみなんていくらでも鋭いし
いくらでも汚れる。
自分の本質に向き合えば
純粋に悲しいだけで、ほんと、それだけで
それだけなら向き合えるのに、悲しみを汚しちゃうんだね。
わたしは「ばかやろう」と言われようと純粋に悲しむために濾過します。
それは自分の過去、経験、認識、思想
関係なく世界とひとつになれるための行為だからです。
純粋に悲しむ、トゥナイト。