狂人サバイバー
わたしは自己がひとつである自覚がない。頭の中では常にバラバラな思考がうるさい居酒屋のようにあちらではグチを吐いているし、誰かがどなっているし、ボソボソと聞き取れない声もある。
「黙れ!」叫びたい時もある。
しかし、もう疲れ果てた時、それはほとんどが静かになる。
ふ、とさびしくなる。閉店間際、わたししかいないようなさみしさ。
とうに常識ってなんだっけ、程度には狂っているのだが、この世にはそれすら自覚していないような狂人をたくさん見かける。
そう言うような狂人は自信たっぷりで、自分に一握りも疑いのないような生き方をしている。
わたしはそっと心の中で「サイコパスめ…」と言うだけ。
そもそも正気の人間なんているのかどうかすら怪しい。
真っ当で、正義的で、人道的で、穏やかで。では心の中は?いくら行動が素晴らしくとも狂人な可能性はあり得る。
だからみんながみんな「わたし、狂っているんだよね」と言ってくれればいいのにな。
そうしたら、尺度が常人と狂人じゃなく、狂人度だけで計れるのにな。
誰もが狂人でもサバイバーなんだったらこの世がもうちょっと好きになれるかも知れない。
遠い少女
わたしの気分いつも最悪
今朝のご飯おいしくなかった
わたしのご飯いつも劣悪
今朝もご飯おいしくなかった
わたしのママ宣言通り
「わたしはママやめるからね」
ああそうか、そうなのね、わかったよ
じゃあ今日から、わたしもイイ娘をやめるわ。
あの娘のお弁当いつもきれい
赤青黄色、色とりどり
わたしのお弁当みせられない
なんにも焦げてない
でも真っ黒
気狂いと平和
ここしばらくの時間の流れが曖昧で、カレンダーを見て、そうか。と今日が今日と認識する。
カレンダーで言うところの一週間と2日前、わたしは完全なる狂気、コントロール不能、怒りの塊になった。それはそれはソリッドな怒りだった。
そして、わたしは、母に刃物で3針分のケガをさせた。
すべてが崩れる音がして、わたしは狂気に逃げた。遮光カーテンはわたしの部屋の時間を止めてくれるし、酒もデパスも十分にあった。
3日間ほどわたしは狂気と言う名の平和を彷徨った。狂気とは昔からの付き合いで、意外といいやつ。
現実みたいに責任も押し付けてこないし、食べたくもない気分の時も「ごはん食べた?」なんても言ってこないし、心配もしてこないし、とにかく思うがままに凹ませてくれる。
でも狂気のやろうは現実ほど元気ではなくて、さすがに4日もすると疲れて眠りこんでしまう。そしてまたわたしは現実に戻る。
狂気が許してくれた罪悪感も、やはりわたしのものなどだ、と。
のそりと現実に紛れ込む。
さすがに現実では腹はすいた。飯を食う。日常だ、現実だ。そう、気づく。
ビタミン剤や、プロテインとは違う。体が温まる。狂気の中では無くなったような自分の体温を知る。現実だ。
母は意外にも冷静で、しかもわたしの思っていた行動と実際ではえらく話が違う。母曰く私の持っていた包丁を手放させようとしての事故だった、と。
乖離。久しぶりにしてしまったみたい。
ではあの悪夢は…わたしは包丁を握り、母の手を掴み、すぱり、と刃を滑らせた。あれは妄想なのか
自分の手首やら太ももやら、数えていた時は116回。それ以上は傷が重なりすぎてカウントも面倒になってやめた。116回。自分の腕を切ることにはなんの感傷もなかった。だが、人を傷つけるとは。ここまでの罪悪感とは。
離人感奥に痺れるほどの罪悪感。
なにがここまでさせるのか、要因が多すぎて特定もできないし、できたからと言ってもう掃えない。
狂ったように手首を切って、きれいだ、と言っていたころのほうがよっぽど苦しくはなかった。でもその頃に母を傷つけても、きっとこのような罪悪感は芽生えなかっただろう。
狂気が眠ってしまって、現実に来たからには思う。
罪悪感がある今のほうがよっぽど、いい。
戒めは、あったほうがいい。野放しの気狂いはだめだ。そっと現実で懊悩してるくらいがいい。
でもそんなわたしにも平和が訪れて欲しいと思う。狂気の優しさではなく、自分の強さからくる平和を。
自己嫌悪
バイオリズムなのか、周期的に破滅思考になる。
自分にも他人にも敬意をはらえなくなる。
そうして散々自分も他人も嫌いになってから、やっと自分も他人も嫌いになりたくないし、嫌われたくないと言う気持ちになる。
そんな自分にはほとほと疲れさせられる。
自分にはいくらでも言い訳できる。
疲れてたんだ。
たまたま、ね。
次こそは。
でも他人は違う。失った信頼を取り戻すのはとても困難なこと。
あいつはさ、ダメだよ。敬意ってものがない。
ダメだよ。敬意のないやつってのはさ...。
しばらくはそんな幻聴を聞きながら過ごすしかなさそうだ。
幻聴なら、いいんだけども。
たまには真面目な話
人類は過渡期を迎えている。
この後地球史上もっとも爆発的に生物の元となる進化の一歩は踏み出されるか?
いやDNA的侵略を受けたカンブリア期を迎えるべきかも知れない。
今や人類は子孫を残す為の生き物ではなくなり、多様化を課題とした生き物になりつつある。
多様化するにあたり一番の変化を見せているのは肉体ではなく精神(と言っても精神も脳と言う立派な肉体の一部だが)とも言える。
特にストレスに対応しづらい生物は自死を選択するのだが、主に死因は外的な様々な人為的食物にあるのだろう。しかしそれを立証するからにはある程度の年代の経過を見てみなければそれは私達の健康神話と同じく眉唾ものと見られても仕方がない。
だから自分が何を信じ何を選択し何をどれだけ続けたかは残して置くべきだと思う。
本来の医学の姿の進歩の為に我々は実験台になるしかないのだ。
屑みたいなのに食いつく屑
本当に見てもらいたいものなんて見てもらえない
それが現状。
屑みたいなのに食いつく屑
そう、言い切ってもいいんですか?
屑みたいな夜だな。
今夜の酒は不成功。
いや、成功?
こんな気分が好きなわたしはおかしい。
いかれてる。
狂ってる。
モラトリアムは続かない
人生のんべんだらりん
そんなモラトリアムは続かない。
痛感してる今、わたしに何ができるのか。
そうね、そうね、創作ね。
それで何が残せる。
知らないね、知らないね。
知らねえよ、知らねえわ。
モラトリアムなんて便宜上。誰もいいと思わない現状。
そんな中、政治家と討論すら逃げられる。わたしは何なんですか。
わたしはわたしと言う稼業にしか生きたくないってのが本音。
ちくしょう。
ちくしょう。